2009年08月14日
GonbeのSL今昔物語(1)
祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。
ん?これは「平家物語」か・・・^^;
さて栄枯盛衰は世の習いと言う事で、GonbeはSL初めてたかだか2年チョイ。
SL自体も始まって6年程度ですかね?
その間にも激動の歴史を刻んできたと言う事で、暫くは過去を振り返りつつ、今を見つめつつ、SLの今後の事等を、思うままに書き残しておこうと思います。
SLはGonbeが始めた2007年頃においても、良く言われたのは「クリエーター天国」と言う事ですね。
でも、厳密に言うと既に「クリエーター天国」から「土地成金の時代」を経て、「多様化の時代」へと入っていた時期だと思います。
真の「クリエーター天国」とは、もっと以前の事でしょう。
有名なお話(Gonbeは「仮想コミュニティがビジネスを創りかえる」と言う本を読んで知った。)で、SL内でユーザによる最初のアトラクションと言うのが、「豆の木」だったと聞いています。
Steller Sunshineと言う女性が一晩で作ったそうです。@@
2002年の事だったといいます。今でもその豆の木はメインランドに残っています。ココです。↓
http://slurl.com/secondlife/Welsh/30/91/21

頂上付近はこんな感じですね。

驚いた事に、このSteller Sunshineのアカウントはまだ生きているんですね。
今も活動しているかどうかは分りません。
豆の木の土地はグループ所有になっていましたので。
しかし、この豆の木がSLに最初に芽吹いたクリエーターの第一歩だったと言う事は事実なのでしょう。
その意味でも、一度は見ておいても良いかもしれません。^^
その後SL世界には、ドンドンと新しい物が作られ、壊され、また作られと言った具合に広がって言ったそうです。
とにかく初期の頃のユーザは、何も無い世界に狂喜したが如く、次から次へと様々な物を作り出したと書いてありました。
そんな中から、ビジネス的に成功する人達も生まれて来たそうです。
SL内での紛争も色々とあったと聞いています。
それは住人同士もあれば、住人とリンデンとの間でもあったようです。
最近では、昨年秋の「Open Space問題」で世界中の住人が反対運動を展開したと言う物がありますが、初期の頃はもっと過激だったようです。
そう言った紛争を通じて、新たなSL内兵器も色々と生まれてきたそうです。
文明の発達には戦争が一役買っていた事は、人間の歴史が示していますが、SL内でも新たなアイデアが戦争を通じて生まれてきたことも多々あったようです。
そんな状況を経て、「土地成金の時代」へと進んでいくのですが、この辺はリンデンのサービスが悪い事から派生したようです。
始めてSLを訪れた人達にとって、当時のSL世界は不親切な物であったと本にも書いてあります。(今も不親切ですが・・・^^;)
従って、リンデンに変わって土地を整備し、快適な居住空間や、様々なサービスを提供する人達が現れ、それによって多くの人達が、彼等の提供する土地へと住み着いて、繁栄して言ったようです。
単に土地転がしをしていた訳では無いのですね。
その中の代表者が100万ドルを稼いだと報道されて、SLの「ゴールドラッシュ時代」と言うか、「大航海時代」と言うか、凄まじいブームが巻き起こったようです。
それが2006年頃のお話です。
日本でも古くからSLに取り組んでいる人達は、2006年頃に始めた人が多いと思います。
ビューアが正式に日本語対応したのは2007年の5月頃でしたから、大部分の日本人ユーザはそれ以降の人だと思いますが、先進的なユーザはそれ以前からSLの住人として活動をし始めていました。
そして、日本にも一大SLブームが訪れて、連日初心者達がメルティンドッツのチュートリアルにわんさか押しかけている状況だったのが懐かしく思います。
Gonbeもメルティンドッツ生まれです。^^
当時は日本人の中でも初期段階と言う事で、「クリエーター天国時代」と「不動産成金時代」が同時並行して展開されました。
先のメルティンドッツとかマグスルとか言った企業系がチュートリアル施設の提供や、大規模なプライベートSIM群を形成して、土地レンタル業を展開していましたし、一方では様々な物造りの先駆者達が、次々と新しいコンテンツを生み出していました。
2007年の5月頃と言うと、ほんの2年前の話ですが、当時を思い出すと、今とはコンテンツ類の質が全く違いました。
とにかく簡単な物が多かったです。
例えば、Gonbeが製作している海洋生物類ですが、大部分が板に魚の写真や絵を貼り付けて、グルグルと回転させているだけの物でした。
当時は今でこそ氾濫している、パーティクルを使った魚もあまり見られませんでした。
スクリプトも見ただけで、すぐに理解できるレベルでした。
それにまだSculpted Prim自体が出たばかりの頃で、世の中心は通常プリムの組み合わせで表現する範囲でした。
従って精巧な物は1オブジェクトで数百プリムなんてのもザラでした。
そんな物を保持して置ける人自体が、極稀な物でしょう。
また、スキンにしろ、ヘアーにしろ、衣類にしろ、乗り物にしろ、今なら物造り修得の為の基礎講座にするレベルの物が多かったです。
勿論、そんな中でも群を抜いて高度な物も存在はしていました。
それらは滅茶苦茶高かったです。><
例えば、Gonbeがある場所のダンスCAMPをしに行っている時、そこへキラキラと輝くまるで妖精のような女性AVがやってきました。その人を踊りながらアップで追うと、何とも言えない位美しいのです。
ヘアーも衣装も、そして顔立ちも。
もう一目惚れ状態ですね。
まあ、その人が誰かは未だに分からないのですが、グループ名が北信越になっており、どうやら日本人だったようです。
だから顔立ちがGonbe好みだったのですね。^^;
当時は、そのようなスキンは滅茶苦茶高かったと思います。
衣装やヘアーも。
今なら同程度のクオリティの物でも、フリーで手に入ってしまうでしょうが。
当時はメルティンドッツのSand Box等へ行くと、何時もグループ勧誘をしている人達が一杯居ました。
中にはSand Box内で、何やら作っては見せびらかすような人達も多かったです。
Gonbeは嫌がらせとかはほどんと経験が無いです。
ただSandBoxでは落ち着かないので、すぐにメインランドに土地を買って、自分の家で製作を始めましたが。
日本人街は何処へ行っても人が一杯でした。
外人さんも居ましたが、やはり日本人が多かったです。
Gonbeは普段男性の格好をしていましたが、男性姿で海外SIMのショッピングモール等へフラリと行くと、見目麗しき女性達が寄ってくることがありました。エスコート・ガールですね。
Gonbeはその手の遊びは苦手なので、さっさと逃げ出すのですが、どうも男性姿で、見るからに初心者っぽいお上りさん風だったので、一時女装して見て歩く事も有りました。
男性AVの衣装等は極端に少ない時代でしたからね。
んが!今度は男性からナンパされます。><
こっちはもっと辛いっす。
特に日本語で声をかけられると、余計に辛くて又も逃げ出していました。
Gonbeは女装趣味は無いから、「女装している男」と思われるだけで恥ずかしかったのですね~。^^;
初期の頃は、とにかく操作も思うようにできないし、あっちへ行っては逃げ出し、こっちへ行っては逃げ出しと、アタフタ・アタフタと過ごしていました。><
長屋だったかな?
その頃逃げようとして走っていたら、川にハマッテしまい、ジャンプして出れば良いのに、まだジャンプすると言う操作すら理解しておらず、川から出られずにあちこちオロオロと川の中を歩き回り、挙句はホームへとTPして逃げ出したことも有ります。
実に情けないお話です。^^;
その後、タイニー展を見に行って、タヌキAVと出会い、「これだ!」と思って、以後1年以上タヌキ姿で過ごす事になります。
こうしてGonbeのSLライフは始まったと言う訳です。^^
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。
ん?これは「平家物語」か・・・^^;
さて栄枯盛衰は世の習いと言う事で、GonbeはSL初めてたかだか2年チョイ。
SL自体も始まって6年程度ですかね?
その間にも激動の歴史を刻んできたと言う事で、暫くは過去を振り返りつつ、今を見つめつつ、SLの今後の事等を、思うままに書き残しておこうと思います。
SLはGonbeが始めた2007年頃においても、良く言われたのは「クリエーター天国」と言う事ですね。
でも、厳密に言うと既に「クリエーター天国」から「土地成金の時代」を経て、「多様化の時代」へと入っていた時期だと思います。
真の「クリエーター天国」とは、もっと以前の事でしょう。
有名なお話(Gonbeは「仮想コミュニティがビジネスを創りかえる」と言う本を読んで知った。)で、SL内でユーザによる最初のアトラクションと言うのが、「豆の木」だったと聞いています。
Steller Sunshineと言う女性が一晩で作ったそうです。@@
2002年の事だったといいます。今でもその豆の木はメインランドに残っています。ココです。↓
http://slurl.com/secondlife/Welsh/30/91/21

頂上付近はこんな感じですね。

驚いた事に、このSteller Sunshineのアカウントはまだ生きているんですね。
今も活動しているかどうかは分りません。
豆の木の土地はグループ所有になっていましたので。
しかし、この豆の木がSLに最初に芽吹いたクリエーターの第一歩だったと言う事は事実なのでしょう。
その意味でも、一度は見ておいても良いかもしれません。^^
その後SL世界には、ドンドンと新しい物が作られ、壊され、また作られと言った具合に広がって言ったそうです。
とにかく初期の頃のユーザは、何も無い世界に狂喜したが如く、次から次へと様々な物を作り出したと書いてありました。
そんな中から、ビジネス的に成功する人達も生まれて来たそうです。
SL内での紛争も色々とあったと聞いています。
それは住人同士もあれば、住人とリンデンとの間でもあったようです。
最近では、昨年秋の「Open Space問題」で世界中の住人が反対運動を展開したと言う物がありますが、初期の頃はもっと過激だったようです。
そう言った紛争を通じて、新たなSL内兵器も色々と生まれてきたそうです。
文明の発達には戦争が一役買っていた事は、人間の歴史が示していますが、SL内でも新たなアイデアが戦争を通じて生まれてきたことも多々あったようです。
そんな状況を経て、「土地成金の時代」へと進んでいくのですが、この辺はリンデンのサービスが悪い事から派生したようです。
始めてSLを訪れた人達にとって、当時のSL世界は不親切な物であったと本にも書いてあります。(今も不親切ですが・・・^^;)
従って、リンデンに変わって土地を整備し、快適な居住空間や、様々なサービスを提供する人達が現れ、それによって多くの人達が、彼等の提供する土地へと住み着いて、繁栄して言ったようです。
単に土地転がしをしていた訳では無いのですね。
その中の代表者が100万ドルを稼いだと報道されて、SLの「ゴールドラッシュ時代」と言うか、「大航海時代」と言うか、凄まじいブームが巻き起こったようです。
それが2006年頃のお話です。
日本でも古くからSLに取り組んでいる人達は、2006年頃に始めた人が多いと思います。
ビューアが正式に日本語対応したのは2007年の5月頃でしたから、大部分の日本人ユーザはそれ以降の人だと思いますが、先進的なユーザはそれ以前からSLの住人として活動をし始めていました。
そして、日本にも一大SLブームが訪れて、連日初心者達がメルティンドッツのチュートリアルにわんさか押しかけている状況だったのが懐かしく思います。
Gonbeもメルティンドッツ生まれです。^^
当時は日本人の中でも初期段階と言う事で、「クリエーター天国時代」と「不動産成金時代」が同時並行して展開されました。
先のメルティンドッツとかマグスルとか言った企業系がチュートリアル施設の提供や、大規模なプライベートSIM群を形成して、土地レンタル業を展開していましたし、一方では様々な物造りの先駆者達が、次々と新しいコンテンツを生み出していました。
2007年の5月頃と言うと、ほんの2年前の話ですが、当時を思い出すと、今とはコンテンツ類の質が全く違いました。
とにかく簡単な物が多かったです。
例えば、Gonbeが製作している海洋生物類ですが、大部分が板に魚の写真や絵を貼り付けて、グルグルと回転させているだけの物でした。
当時は今でこそ氾濫している、パーティクルを使った魚もあまり見られませんでした。
スクリプトも見ただけで、すぐに理解できるレベルでした。
それにまだSculpted Prim自体が出たばかりの頃で、世の中心は通常プリムの組み合わせで表現する範囲でした。
従って精巧な物は1オブジェクトで数百プリムなんてのもザラでした。
そんな物を保持して置ける人自体が、極稀な物でしょう。
また、スキンにしろ、ヘアーにしろ、衣類にしろ、乗り物にしろ、今なら物造り修得の為の基礎講座にするレベルの物が多かったです。
勿論、そんな中でも群を抜いて高度な物も存在はしていました。
それらは滅茶苦茶高かったです。><
例えば、Gonbeがある場所のダンスCAMPをしに行っている時、そこへキラキラと輝くまるで妖精のような女性AVがやってきました。その人を踊りながらアップで追うと、何とも言えない位美しいのです。
ヘアーも衣装も、そして顔立ちも。
もう一目惚れ状態ですね。
まあ、その人が誰かは未だに分からないのですが、グループ名が北信越になっており、どうやら日本人だったようです。
だから顔立ちがGonbe好みだったのですね。^^;
当時は、そのようなスキンは滅茶苦茶高かったと思います。
衣装やヘアーも。
今なら同程度のクオリティの物でも、フリーで手に入ってしまうでしょうが。
当時はメルティンドッツのSand Box等へ行くと、何時もグループ勧誘をしている人達が一杯居ました。
中にはSand Box内で、何やら作っては見せびらかすような人達も多かったです。
Gonbeは嫌がらせとかはほどんと経験が無いです。
ただSandBoxでは落ち着かないので、すぐにメインランドに土地を買って、自分の家で製作を始めましたが。
日本人街は何処へ行っても人が一杯でした。
外人さんも居ましたが、やはり日本人が多かったです。
Gonbeは普段男性の格好をしていましたが、男性姿で海外SIMのショッピングモール等へフラリと行くと、見目麗しき女性達が寄ってくることがありました。エスコート・ガールですね。
Gonbeはその手の遊びは苦手なので、さっさと逃げ出すのですが、どうも男性姿で、見るからに初心者っぽいお上りさん風だったので、一時女装して見て歩く事も有りました。
男性AVの衣装等は極端に少ない時代でしたからね。
んが!今度は男性からナンパされます。><
こっちはもっと辛いっす。
特に日本語で声をかけられると、余計に辛くて又も逃げ出していました。
Gonbeは女装趣味は無いから、「女装している男」と思われるだけで恥ずかしかったのですね~。^^;
初期の頃は、とにかく操作も思うようにできないし、あっちへ行っては逃げ出し、こっちへ行っては逃げ出しと、アタフタ・アタフタと過ごしていました。><
長屋だったかな?
その頃逃げようとして走っていたら、川にハマッテしまい、ジャンプして出れば良いのに、まだジャンプすると言う操作すら理解しておらず、川から出られずにあちこちオロオロと川の中を歩き回り、挙句はホームへとTPして逃げ出したことも有ります。
実に情けないお話です。^^;
その後、タイニー展を見に行って、タヌキAVと出会い、「これだ!」と思って、以後1年以上タヌキ姿で過ごす事になります。
こうしてGonbeのSLライフは始まったと言う訳です。^^
Posted by Gonbe Shan at 11:56
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